私たちは日常で無意識に瞳をいつも動かしているので、写真撮影で目線を意識的に固定することに違和感があります。しかし、一般的なオーディションやコンテストに出す写真はカメラ目線が基本です。
それは、何より写真を見ている人(審査をする人)に「自分の方を意識的に見ている」と感じさせたいからです。
こちらをじっと見つめている写真は、その写真を見ているほうが「逆に見られている気になり、何かを問われている」ような気にさせられます。つまりカメラ目線とは「観る人のための目線」のことです。
一方、カメラから目線がはずれているものは、写っている人の「内面の一部をのぞき見ている」ようです。ふと視線をはずしたような写真は、その人の本質を「垣間見た」ような気になります。
カメラ目線=カメラのレンズに目線を合わせること。
カメラ目線ではあっても無表情でこちらをみつめている写真は、「いったい何を考えているのだろう、いや、何も考えていないのか?」といった不思議な雰囲気をつくることになります。
無表情の作り方は、「鏡に映った自分自身を覗き込む」つまり「自分だけを見つめている」気持ちでつくります。
放心したような大きく見開いた何も見ていない目はガラス玉のようで、実は「見ているようで何も見ていない、意図された表情」です。
若年のモデルを使った広告で、このムードが多く求められるのは「まだ表情をつくることを知らない」無垢なイメージが伝えられるからです。
カメラレンズから目線をはずすと、撮られていることを知らずに撮影されたという感じになります。
客観性を出すことによって情景描写っぽくなり、その写真は、あたかも何かの文脈を構成するひとつの場面であり、映画の中の一つのシーンのような雰囲気になります。
カメラ目線では、モデルが何らかの意思を見るものに直接伝えようと感じられるのに対し、はずした目線は、逆に意志を伝える意図はないことを意図的に伝えています。「あるどこかを見ている」ように感じさせ、「見ていないようで、何かを見ている」ことで、表情を神秘的なイメージにすることができます。
人物が主体となるポートレート写真ではモデルの目線で写真の構成となる空間をつくっているとも言えます。空間は空気であり、空気とは雰囲気を伝えるものです。
目線でできる線=イマジナリーライン(想像線)から、私たちは、そこに写っていないものも想像してイメージが広がるわけです。
目線をはずした写真で伝わる雰囲気には、大きく分ければ次の二つがありあます。
モデルという仕事が意識的にポーズや表情をつくることは説明しました。それではまったく撮影という状況を意識しなかった場合はどうなるでしょう。
たとえば、盗み撮りに近い感覚になりますが、撮影の休憩時間にモデルが休んでリラックスしているところを本人に気づかれないようにカメラマンが撮ったと思ってください。そして、その「ふとした仕草」がポーズのようで、何らかの雰囲気を醸し出しているとしたら、その写真をモデルはどう解釈したらよいのでしょう。カメラマンは偶然を狙ったわけで、モデルはポーズも表情も意識していませんが、それも充分にモデルの資質を現しているといえます。
つまり、まったく無意識の中に本人の特徴が現れることもあるといえます。
これを逆手にとって、無意識風にポーズをしている写真もあります。
中井信之 (なかいのぶゆき)
ポージングディレクター・
俳優・モデル・劇作家・
演出・イメージコンサルタント
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国際イメージコンサルタント協会AICI/青山オフィス/日本ポージング協会
ワタナベエンターテイメントカレッジ/大妻マネジメントアカデミー(OMA)/渋谷ファッション&アート専門学校/
BLEA 専門学部など
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